禱 敬 唯
7月2日の衝撃を、書き留めておかねばと、と必死で長い文章を書いたが、収拾がつかなかった。
あの時はその日までの数日のこと、その一週間前のことも、無心で書いた。
祖母の心は祖母しかわからない。孫が今できることは何だ。と、状況を記憶しておきたい一心で書いた。
あの時の想いは、祖母だけが感じ取った。祖母だけが持っていった。
そして今日は、親族に会い、残された人から祖母を感じた。
祖母は母を愛していた、叔父を愛していた。みんなを愛して、見守ってくれていた。当たり前で気づいていなかったそのことに、祖母の大きな心に、孫は時間が過ぎれば過ぎるほど、もっと深い絆の唯一無二の絆や愛に、拝む気持ちになる。
祖母が教えてくれたことは大きすぎる。
お経が大好きだった祖母がもし本人へのお経を聴いてくれていたら、どんなに嬉しいのだろう、と孫は、不可能なのに、祖母の代わりになろうとして、必死で聴いた。孫にできることは、ちっぽけだ。祖母になりきれず、切なかった。と同時に、今まで感じたこともないほどに、内容が押し寄せてくるように具体的な内容が浮かび感動した。和尚様からの御経を聴きながら、以前、祖母の唱えるお経を横で聴いていた祖母の早朝の日課も駆け巡られて、口には出さなかった祖母の本音の生きた心が、お経と平行して押し寄せてくるようだった。
祖母と孫の私との唯一無二のここ数日の出来事も、彼女は持っていかれた。
今も次のこたえを待っているような感覚で、もういないのにいつもそばにいるような隣り合わせにいるような祖母を感じる
禱